
おもちゃを五輪競技に変えた男の熱狂 スノーボードを生んだ男 ジェイクバートンの一生
「スノーボードを生んだ男 ジェイク・バートンの一生」(福原顕志著)
ラジオ番組「スポーツと読書」でとりあげています。
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福原顕志氏によるノンフィクション『スノーボードを生んだ男 ジェイク・バートンの一生』は、世界最大のスノーボードブランド「BURTON(バートン)」の創業者であるジェイク・バートンの生涯を軸に、スノーボードという新興スポーツがいかにして誕生し、普及し、巨大な産業へと成長を遂げたのかを論理的に紐解いた一冊である。
本書は、単なる一人の起業家の成功譚やスポーツの歴史書にとどまらない。ゼロから新しいプロダクトを生み出し、既存のインフラという強固な参入障壁を突破し、強大な資本を持つ競合他社を退けて独自の市場(カルチャー)を構築していくプロセスを描いた、示唆に富む「新興スポーツビジネスのケーススタディ」として読むことができる。
子供の遊び道具から見出した「市場のポテンシャル」
スノーボードの歴史は、他のメジャースポーツと比較して非常に浅い。その起点は1970年代のアメリカに存在した「スナーファー」と呼ばれる子供向けの雪遊び道具に遡る。それは木製のソリを少し変形させたような簡素なものであり、当時の大半の大人たちは、それを単なるおもちゃとしてしか認識していなかった。
しかし1977年、ジェイク・バートンはこのスナーファーに独自の改良を加え、足の留め具(ビンディング)を装着することで、サーフィンやスケートボードのように雪上を滑走する新しいスポーツツールとしての可能性を見出した。
イノベーションの多くが、既存の市場の周縁にある「見過ごされがちなもの」から生まれるように、バートンの事業もまた、誰もビジネスとしての価値を感じていなかったプロダクトを起点としている。彼が優れていたのは、そのアイデアを思いついただけでなく、実際に自らの手で板の製造を始め、事業化に向けて行動を起こした点にある。この初期の着眼点と実行力こそが、後に世界規模となるスノーボード産業の第一歩であった。
既存インフラ「スキー場」への参入障壁と交渉
プロダクトを開発したバートンが直面した最大の障壁は、顧客層の開拓ではなく「滑走場所の確保」であった。当時の雪山、すなわちスキー場は、完全に「スキーヤーのためのインフラ」として最適化され、管理されていたからである。
真新しい横乗りの板を持った若者たちがスキー場へ足を運んでも、スキー場の経営者たちは決してリフトへの乗車を許可しなかった。「制御が難しく危険である」「既存のスキー客との接触事故が懸念される」「保険の適用対象外になる」といった合理的な理由から、スノーボードはゲレンデから徹底的に排除されたのである。
ここには、新興スポーツが抱える特有のビジネス的困難が表れている。例えば、サーフィンであれば広大な海、スケートボードであれば街中の路上といったパブリックな空間を利用できるが、スノーボードは「リフト」や「圧雪された斜面」といった、既に他者によって巨額の資本が投下され、ルールが確立されている既存インフラを「間借り」しなければ成立しない。これは、既存のテニスコートを利用して全く別の新興スポーツを展開しようとするようなものであり、インフラ所有者からの反発は必至であった。
この強固な壁に対し、バートンたちは真正面から、かつ地道な交渉で挑んだ。昼間の営業時間に滑走を断られれば、夜間にスキー場の支配人を呼び出し、自らデモンストレーションを行って安全性を証明した。スノーボードがいかにコントロール可能であり、新しい顧客層(若者)をスキー場に呼び込む起爆剤になり得るかを、一つひとつのスキー場に足を運んで説得し続けたのである。この草の根の営業活動によるインフラの開拓こそが、スノーボード市場形成における最も重要なプロセスであった。
大手資本の参入を阻んだ「カルチャー」という防壁
地道な活動によってスキー場での滑走が徐々に解禁され、若者を中心にスノーボードの人気が急拡大すると、次のフェーズとして既存の大手スキーメーカーがこの新興市場に目をつけた。
しかし、結果として大手スキーメーカーの多くは、スノーボード市場で想定通りのシェアを獲得することができなかった。その理由の一つは、彼らがスノーボードを敵とみなし、参入が遅れたという点である。いずれ広まるものであれば、早めに取り入れてしまうというのが本来とるべき方針だったということになる。
また、彼らが「雪の上を滑るための機能的な道具」を販売しようとしたのに対し、バートンは「スノーボードというカルチャー(文化)」を販売していた点も指摘している。
バートンは、スノーボードを単なるスポーツ用品ではなく、文化と考えていた。体にフィットする伝統的なスキーウェアとは対極にある、ダボダボのシルエットのウェアを採用するなど、ストリートのファッションや音楽と親和性の高い独自のスタイルを確立したのである。
スノーボードに熱狂する若者たちにとって、重要なのは板のスペックだけではなく、自分たちのアイデンティティを代弁してくれる「ブランドの文脈」であった。そのため、流行を見て後から参入してきた大手スキーメーカーのプロダクトは、コミュニティから「スタイルがない」と見なされ、受け入れられなかった。これは、製品の機能性だけでなく、強固なコミュニティと文化を形成することが、いかに強力な参入障壁として機能するかを示す典型的なマーケティング事例と言える。
競技のメジャー化に伴う体制との摩擦
スノーボードの普及は驚異的なスピードで進み、1977年のバートンの活動開始からわずか20年余り後の1998年、長野オリンピックにおいて正式種目として採用されるに至った。しかし、このメジャー化の頂点とも言える舞台で、大きな問題に直面することになる。
オリンピックにおけるスノーボード競技の統括とルール制定を、「国際スキー連盟(FIS)」が担うことになったのである。スノーボード黎明期からUSオープンなどの大会を独自に立ち上げ、選手を育成し、文化を醸成してきたバートンら関係者にとって、かつて自分たちをゲレンデから排除してきたスキー連盟が、五輪という権威を背景に突然主導権を握ることは到底受け入れがたいものであった。
この構造的な理不尽さに対し、トップ選手たちは猛反発し、オリンピックのボイコット騒動にまで発展する。独自のカルチャーとして発展してきた新興ムーブメントが、マスに向けて拡大する過程で既存の巨大な「体制」や「権威」に組み込まれ、コントロールを奪われるという現象は、ビジネスの世界におけるM&Aや、アンダーグラウンドな文化の商業化プロセスでも頻繁に見られる構図である。
この局面において、バートンは葛藤の末に、スノーボードというスポーツを世界中のより多くの人々に認知させるためのプラットフォームとして、オリンピックの枠組みを受け入れるという現実的な決断を下す。一方で、独自の大会運営や選手へのスポンサーシップをさらに強化し、ブランドのコアとなるカルチャーの維持にも努めた。普及とブランド価値の保護という二律背反の課題に対する、経営者としてのバランス感覚が伺える。
総評:新しい市場を創出するためのヒント
現在、スポーツビジネスの世界では、ピックルボールやパデルといった新しい競技が次々と生まれ、市場の定着を図っている。これらの新興スポーツもまた、スノーボードがかつて直面したような「既存インフラの活用」や「独自のコミュニティ形成」といった課題と向き合っている。
『スノーボードを生んだ男 ジェイク・バートンの一生』は、何もないところからプロダクトを作り、排他的なインフラをこじ開け、資本力で勝る競合をカルチャーの力で退け、世界的な産業へと育て上げたプロセスを詳細に追体験できる一冊である。
既存の枠組みの中でいかにして新しい価値を創造し、定着させていくかという「市場創出のメカニズム」を学ぶためのテキストとして、新規事業開発に携わるビジネスパーソンや、マーケティングに関心のある読者にも強くおすすめしたい。
プロ野球選手、元サッカー日本代表選手等の個人・法人の顧問、トラブル相談等を多数取り扱う
著作:「アスリートを活用したマーケティングの広がりとRule40の緩和」(東京2020オリンピック・パラリンピックを巡る法的課題(日本スポーツ法学会編)
・一般社団法人スポーツキャリアアドバイザーズ 代表理事
・トップランナー法律事務所 代表弁護士(東京弁護士会所属)
・日本プロ野球選手会公認選手代理人
・日本スポーツ法学会会員


