
サッカーと地政学 木崎伸也
podcast「スポーツと読書」でとりあげています。
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地政学とは本来、地理的な条件が国家の政治、経済、軍事にどのような影響を及ぼしているかを研究する学問ですが、これをサッカーの世界に応用し、政治的・民族的・地理的要素がいかにしてサッカー界の仕組や勢力図に影響を与えているかを体系的に解説しています。いわば「政治サッカー学」とも呼べる独自の視点を提供する本書の内容を、いくつかのテーマに沿ってご紹介します。
日本の地理的条件とサッカーの歴史
まず、私たちにとって身近な「日本サッカー」が、どのような地政学的影響を受けてきたのかが書かれています。
著者がまず取り上げているのは、1999年のワールドユース(現・U-20ワールドカップ)で準優勝という快挙を成し遂げた、小野伸二選手らを擁する「黄金世代」の強化プロセスです。日本は極東の島国であり、ヨーロッパや南米といったサッカーの中心地から地理的に遠く離れています。この圧倒的な地理的ハンデを克服するため、当時の代表チームは若年の頃から積極的に海外遠征を繰り返し、完全なアウェー環境での実戦経験を徹底的に蓄積しました。島国という閉鎖的な環境を自覚し、意図的に外の世界との接触を増やしたことが、彼らの世界に通用する強靭なメンタリティを育成したと分析されています。
また、Jリーグの発足当初から現在に至るまで、日本のクラブにおいてブラジル人選手が大きな割合を占めている点についても言及されています。これは単にブラジルがサッカー大国であるという理由だけでなく、過去に多くの日本人がブラジルへ移住したという「日系移民の歴史」が背景にあります。この歴史的な国家間の結びつきが人的ネットワークを形成し、現在の日本のサッカービジネスにおける主要な人材獲得ルートとして機能し続けているという事実は、スポーツと歴史の密接な関係を示しています。
ワールドカップ開催地決定に見る政治と資本
続いて本書が詳細に解説しているのが、巨大化するスポーツイベントと資本の力学です。特に、FIFAが主導するワールドカップの開催地決定プロセスに関する考察です。
100周年記念大会となる2030年のワールドカップの特異な開催方式が取り上げられています。この大会はスペイン、ポルトガル、モロッコがメインの開催国となりますが、南米のウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイでも各1試合が行われる予定です。合計6カ国、実に欧州、アフリカ、南米の3大陸にまたがるという、移動の負担や大会運営の合理性を欠く決定がなぜ下されたのか。
これを、次期2034年大会をサウジアラビアに招致するための、FIFAによる制度的な布石であると指摘しています。ワールドカップには、直近2大会で開催実績のある大陸からの次回立候補を制限するローテーションのルールが存在します。2030年に意図的に3つの主要大陸を「開催地」として消化させることで、次回大会の招致レースから欧州や南米といった強力なライバルを制度上排除したのです。その結果、FIFAはわずか、2030年のW杯開催地決定からわずか25日という極めて短い立候補期間を設定し、対抗馬が不在となったサウジアラビアが2034年大会の開催権を獲得しました。
また、近年アメリカで開催されたクラブワールドカップにおいて、サウジアラビアからの莫大な資金提供によって賞金総額が高騰した事例や、逆に中国が国家主導でサッカー界に巨額の投資を行いながらも、国内の不動産バブル崩壊とともに多くのプロチームが消滅した事例も紹介されています。スポーツイベントのルールづくりやクラブの存続が、一国の政治的意図や経済情勢によっていかに容易に左右されるかが克明に描かれています。
欧州サッカーにおける民族の分断と国際紛争
視点をヨーロッパに移すと、各国のナショナルチームが抱える内政問題がチームのレベルに与える影響、国際的な政治対立がスポーツに持ち込まれる現実を浮き彫りにします。
例えば、パスサッカーで一時代を築いたスペイン代表ですが、かつては有力な選手を擁しながらも国際大会で結果を残せない時期が続きました。その要因として、スペイン国内における民族的な対立構造を挙げています。マドリードを中心とするカスティーリャ人、バルセロナを中心とするカタルーニャ人、そしてバスク人など、独自の言語と強い自治意識を持つ集団が混在するスペインでは、かつては「スペイン国民」としての帰属意識よりも、各地域のアイデンティティが先行していました。この見えない民族の壁がチームの統合を阻害していましたが、指導陣の意識改革によって国家としての団結心を確立させたことが、その後の成功に繋がったと解説されています。
さらに、UEFA(欧州サッカー連盟)が公式に運用している「対戦禁止カード」の存在についても詳述されています。ウクライナとベラルーシ、アルメニアとアゼルバイジャン、セルビアとコソボ、スペインとジブラルタルなど、政治的・歴史的な対立が先鋭化している国同士は、予選等の組み合わせ抽選において意図的に対戦を回避する措置がとられています。試合を契機とした暴動や外交問題を防ぐための措置ですが、万が一トーナメント戦でこれらの国が対戦することになった場合の制御手段は存在せず、ヨーロッパのスポーツ界が常に地政学的なリスクを内包していることが指摘されています。
移民政策と「才能の逆輸入」
現代サッカーの勢力図を語る上で欠かせないのが「移民」というテーマです。
多様なルーツを持つ選手で構成されるフランス代表の強さは、同国が推進してきた移民受け入れ政策の直接的な結果ですが、本書では新たな潮流としてモロッコ代表の躍進が取り上げられています。
前回のワールドカップでベスト4に進出したモロッコ代表の主力選手の多くは、モロッコ国内ではなく、ヨーロッパの国々で生まれ育った移民の第2世代、第3世代です。ヤマルをモロッコ代表にしようとしたのは有名な話です。彼らは欧州の高度な育成システムのもとで技術を磨いた後、プロ選手として国籍を選択する際に、自身のルーツであるモロッコ代表を選ぶ傾向があります。著者が「才能の逆輸入」と表現するこの現象により、かつての労働力としての移民移動が、現在では最先端のサッカー技能の移転として機能し、アフリカ勢の戦力を飛躍的に向上させているのです。
この点についていえば。先日の日本・イングランド戦についてのイングランドでの報道等をみたところ、日本の真面目である、一体感を大事にするといった国民性に合致するしつこいハイプレスというのは、日本代表の特色の一つと捉えられているようにも思います。
おわりに
ワールドカップの裏で動く政治と資本、歴史がもたらす民族の分断、そして人口動態の変化を映し出すナショナルチームの姿。本書を通じてこれらの知識を得ることで、普段テレビで観戦しているサッカーの試合が、各国の歴史と政治が交錯する極めて奥深いドキュメンタリーとして見えてくるはずです。
スポーツと社会の関わりに関心のある方や、国際情勢を新たな視点から理解したい方に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
以上
プロ野球選手、元サッカー日本代表選手等の個人・法人の顧問、トラブル相談等を多数取り扱う
著作:「アスリートを活用したマーケティングの広がりとRule40の緩和」(東京2020オリンピック・パラリンピックを巡る法的課題(日本スポーツ法学会編)
・一般社団法人スポーツキャリアアドバイザーズ 代表理事
・トップランナー法律事務所 代表弁護士(東京弁護士会所属)
・日本プロ野球選手会公認選手代理人
・日本スポーツ法学会会員


