スポーツがもつ宗教的共同価値が日本の未来を明るくする

スポーツがもつ宗教的共同価値が日本の未来を明るくする

ある特定のスポーツチームを応援している人たちを、信者と呼ぶことがあるように、スポーツの応援が宗教活動に似たイメージをもっている日本人は多いように思います。

最近読んだ、「宗教の起源 私達にはなぜ<神>が必要だったのか」という本から、この点に関する多くの示唆を得たので、紹介させてもらえればと思います。

まず、この本自体の目的は、以下の3つ、
①なぜ、宗教に普遍性がある(人智が及ぼないものを一切信じない文化は存在しない)のか
②なぜ人は宗教を信じるのか
③なぜ、宗教がこれだけ世界中にたくさんあるのか
を解き明かそうとするものです。

これらを説明する中で、信じる者は救われる、すなわち宗教を信じることにメリットがあるからこそ、これだけ宗教が世の中に溢れていて、具体的には、宗教に以下のような役割があるとあげられています。
① 原始的な科学の一形態としての側面
② 医学的介入の一形態としての側面
③ 協力の強制手段である
④ 政治的抑圧の仕組である(一般市民にとってのガス抜きとしての側面)
⑤ 共同体結束の仕組

②について、実際に、信仰をしている人の方がそうでない人よりも精神的に健康であるそうです。
それは、各行為により共同体意識を作りだし、また、エンドルフィンを生み出すことにより病気への抵抗力をあげているからであるとしています。
具体的には、礼拝等の際に、多くの人で集まり、笑い、(音楽のもとで)歌い、踊る(同じ行動をする)という行為がこれを生み出していると指摘しています。
私個人の経験として、子どもが通っているボーイスカウトの集合場所が教会となっている関係で、たびたび日曜礼拝に参加するようになったのですが、このことは強く感じています。
ちなみに、宗教団体に限らず、会社、多くの組織で、公式の歌をつくったり、朝礼・挨拶時の儀式的行為を取り入れているのも、同じ目的だと感じます。

少し話が宗教によりすぎましたが、多くの人が集まり、同じチーム・選手等を声を出して応援するということが、個人の健康増進にも寄与しますし、その地域の共同体の結束を強めるというについても、極めて強い意味をもつことになるのです。

いうまでもなく、日本は少子高齢化、特に地方における人口減少及びこれらに伴う地域共同体の希薄化が、これから一層進んでいくことは間違いありません。
スポーツをする、応援する等、形に関わらず、スポーツに関わる人を増やすことは、これらの改善を図る極めて有力な方法になると私は考えています。
私個人でいえば、きっと、70歳になっても、友人たちと集まってサッカーワールドカップをみていると思います。

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